私は昭和62年生まれで、生まれつき身体障害を持っています。3兄弟ですが私だけが障害を持っており、小さい頃は地元滝川市の幼稚園に母と一緒に通っていました。障害があるため、母の付き添いがなければ通園することはできませんでした。幼稚園に通うまでは、そこまで自分の障害を気にすることもありませんでした。と言うのも、兄や姉が周りと同じように接してくれたため、自分が歩けないことを気にせず過ごしていました。幼稚園に通うようになり、友達に「なぜ歩けないの?」と聞かれたときに「なぜだろう?」と思いましたが、まだその時は自分の障害特性がどういうものなのか理解していませんでした。小学校に上がる時期になり、滝川市で通える普通学校を母が探したものの、その当時バリアフリー設備の整った学校がなく、札幌市にある病院併設の養護学校に行くことになりました。家族と離れて生活するため、少年時代はさみしい思いもしました。でも同じような境遇の方たちと出会い、そこで当社代表の冨樫さんとも友人になりました。生活する上でできないこと(着替えなど)は看護師さんに援助を得ながら、勉強やリハビリなどを受け中学校卒業まで楽しく暮らすことが出来ました。卒業後は寮を併設している養護学校に行くことにしました。3年間過ごす中で進路を考える時期になり、周りの友人は就職先が決まっていく中、私は決まっていませんでした。そのため就職を諦め、障がい者支援入居施設に行くことを決めました。そこで見た「自立生活をしてみませんか?」というチラシに影響を受け、私も一人暮らしをしてみたいと思い、父に一人暮らしがしたいと伝えました。父からは「食事や家事はどうする?」「地震が起きた時は?」など言われました。しかしどうしても札幌で一人暮らしがしたかったので、父や家族を説得し、一人暮らしを始めました。初日に生活介助に入ってくれたのが、その当時自立生活センターさっぽろで働いていた冨樫さんでした。一人暮らしを始めてからは分からない事だらけでした。スーパーに買い物に行っても何を買って良いのか分からず、スーパーの中をうろうろし、やっと決まったのが味噌汁を作ることでした。そこから必要な材料を選ぶのに30分以上かかった事を今でも鮮明に覚えています。地下鉄の切符の買い方やバスの乗り方、ヘルパーへの指示の出し方等など、全てにおいて分からない事が沢山ありました。何故そこまで迷ったかというと私は小さな頃に一人で買い物に行ったり自分で決めるという経験が少なかったからだと思います。生活に慣れるまで時間の把握などもとても難しく、ヘルパーの勤務時間が過ぎてしまうこともありました。
【自立生活センターさっぽろでの仕事の様子】
自立生活センターさっぽろは、呼吸器をつけながらも一人暮らしをしている方が代表を務めている会社であり、「障害が重くても地域へ」という理念をもとに活動している団体でした。私も一人暮らしをしたいという方に自分の経験を活かし、アドバイスや一人暮らしをするために利用できる制度の説明や申請などを行っていました。入社した当時は困ったことも多くありました。例えば、頼まれた仕事を忘れてしまったり、次にやらなくてはならないことを忘れてしまったり、仕事を覚えるのが大変だったのですが同僚の助けもあり働くことができました。私はそこで初めて、新しいことを覚えにくいというのも障害の特性かもしれないと感じましたが、それはいまだにわかりません。ただ前職での経験や失敗を活かし、これから一人暮らしをしたい障害を持った方やその家族、また関係者の方々に向けて、制度のことや一人暮らしに必要な情報、私が体験してきたことをYouTubeで発信しています。投稿頻度は1週間に1本を目標に行っています。皆さんの参考になるかはわかりませんが、よろしければご覧いただけると幸いです。よろしくお願いします。